ごきげんになる言葉

みなさま、ものすごーーーーーーーく、ごぶさたしております。

なかなか落ち着かない感染症の問題。

私は、2回目の予防接種で4日間も寝込んでしまいました。

などと、落ち着かないこの話題を前面に出しつつ、会報発行が遅れに遅れた言い訳を考えている次第です。

お約束通り発行できず、申し訳ありません。

今回の会報では、当NPOのモットーのである「でけたしこ」(今できることを精一杯)で、取り組んだ活動の報告を中心にお届けいたします。

 

みなさんは、日本語を話している相手に自分の日本語が通じないという経験はありませんか。

私は、そんな経験が重なったせいか、年々、自分のごきげんを自分で取ることが難しくなっているように感じる今日この頃。

日本語が通じない相手と出会うと、とたんに自分のごきげんパワーのメモリが減ってしまいます。

いくら説明しても、通じない。

解説書を示しても通じない。

こちらが重要だと言っているものが、相手にとっては、どうでもよいことだったり・・・

 

たとえば、とある相談現場でのこと。

相談者に家計収支表を渡して自分で記入してみるよう促しました。が、できない。

相談者に支出にした金額を数字で示しても、困った顔をするばかり・・・

 

そこで、おもちゃのお金を取り出し、支出の費目を書いたカードにお金を置いていきました。

手元のお金がみるみる減っていく様子から支出というイメージをつかんでくれたという感触あり!

これ、ええ方法やんって、ごきげんになったのもつかの間。

対応記録を読んだ日本語の通じない相手が、こう言いました。

「そんなことまでしなくていい。そんなことは望んでいない。」

そりゃあ、あなたはそんなことしなくても理解できる。

だから、そんなことは望まないでしょうが、望むひともいるんですという日本語がまた通じない。

ちなみに、このひとのことは、自分の上位のひとのいうことはなんでも聞く「言いなり」のナリさんと心の中で呼んでいました。

このナリさんに命令する同僚がハラスメントタイプのハラさん、このふたりをコントローンできない、常に自分がなくフラフラしている上司をフラさんと呼んでいたのは、ここだけの話です。

こんな風にごきげんになれない時、私はいつもこの言葉を書いたメモの写真を見返しています。

 

「生まれた時、きみは泣き、世界は笑った。だから死ぬときは、きみは笑い、世界は泣く人生を生きなさい」

 

ネイティブアメリカン チェロキー族の言葉。

この言葉も、日本語が通じないひとには通じないんだろうなあ・・・

でも、それでいいのだ。わしはわしなのだ。

この言葉もごきげんになれる言葉のひとつです。

2022年 4月 会報 第40号より