『ノブレス・オブリージュ』(noblesse oblige)

最近、とてもおもしろい経験をしました。

ある行政担当課との話し合いの中で、行政が考えた事業計画に関して、問題点を指摘するとともに改善点について提案をしました。

その際、担当課のトップの職員から、「行政の施策についての責任は、行政にある。余計な心配は無用」と言われました。

こちらは、責任の所在ではなく税金の使われ方の心配をしたのですが・・・。

別の担当課との打ち合わせの中では、トップの職員から、こう説明を受けました。

「行政は縦割りの弊害があり、枠の中でしか物事を考えることができません。どうか、多いにその枠を壊すような提案をしてください。」

同じ行政という機関で働き、同じ管理職に位置するこの二人の違いは、なんなのでしょうか。

 

これまた最近のことですが、読んだ本の中に次のような記述がありました。

「エリートが個人の生活のみに埋没し、それ以上の大きな目標をもたなければ、いったい誰がこの社会を支えていくのか」(「東大国語」入試で鍛える!斎藤孝の読むチカラ 斎藤孝 56~57頁 宝島社)。

 

このような考え方をnoblesse obligeといい(フランス語で「高貴な義務」「選ばれた者の重い使命」の意味)、一般的に、財産、権力、社会的保持には責任が伴うことを指すそうです。

 

では、「東大国語」の中にあった問題文を紹介します。金子みすずの詩を引用したこの設問のねらいは、なんでしょう。

もし、わたしが消費者相談員の採用担当者だったら、こういう試験をやってみたいなあと思います(自分がこの問題を解けるかは、高~い棚のうえにのっけて、すごく上から目線です。お許しください)。

 

ヒントは、次の記述です。

「就職試験で問われるは、基本的に知識かビジネス上の基礎能力です。純粋に感性を問われ、評価されることはないでしょう」(前掲 斎藤孝 61頁)

2009年 7月 会報 第14号より